人生にルーティーンを組み込もう☆

日本食研の強さを語りたい

やりたい事が見つかりにくい!

何を始めたらいいんだろうという皆様に

やりたい事に埋もれている私から

趣味をプレゼンしていくこのblog

皆様、どうか今日もお付き合いくださいませ


さて、今回のテーマは

『日本食研の凄さを語りたい』、いや語り尽くしたい!

言わずと知れたタレの王様『日本食研』誰もが聞いたことがあるであろうこの企業は、イメージからはかけ離れた凄まじい強さと徹底した経営戦略が存在していた!



その長きに渡る歴史をものの5分で私がプレゼンします

見終わる頃には貴方も日本食研の見方が変わるかも!?

では、本日も行きましょう!

日本食研を作った男



皆さんは『日本食研』という会社をご存知でしょうか。四国は今治をスタートし今や全世界に300箇所を超える事業所をもつキングオブスパイス



タレを作らせたら国内シェア40%を超え、唐揚げ粉シェアもダントツ、調味料界を制するとそこに飽き足らずソーセージ事業に着手。アメリカでも結果を出し世界の大陸の王者中国を目指す正に香辛料界のトヨタ自動車



なんにせよとんでもない企業なんです。私は日本食研の大ファンとして、その魅力を余すところなく伝えたい!今回は覚悟していてください。他のどのサイトよりも僕が1番日本食研の素晴らしさを伝えます



興奮のあまり話がそれましたが、この『日本食研』と言う会社いつ頃から存在してると思いますか?



ここまで成長を遂げたモンスター企業ですから数代に渡る経営の元、永きに渡って築き上げてきた会社のイメージがありますよね?なんだかキッコーマンとか、山田屋饅頭のような



違います



なんとこの企業、創業からまだ40年しか経ってません。そうなんです、日本食研はわずか1代でここまでのし上がって来た奇跡の会社なのです



その伝説の主人公が『大沢 一彦』という男であります

主人公、大沢一彦は最初からすごい




1940年生まれ、79歳(2019年現在)の大沢一彦は農家の6人目として産まれ農家を志して欲しい両親は時の大沢一彦に畳一畳ほどの畑を与えます。そこで農作物を育てた大沢一彦は収穫し、リアカーを引いて街に売りに行きます。そこで売れた作物を全て書き記し、売れ筋だけを植えることで利益を伸ばすという驚異的な順応性の高さを発揮します。この時でまさかの大沢一彦は小学生



しかも利益を使い、当時手に入りにくかった野球グローブを買い皆で遊ぶという剛健ぶり。さすがは小学生、されどこんな小学生が未だかつて居たのだろうか。見た目は子供、頭脳は大人。まるで名探偵コナンを絵に描いたような天才児

大沢一彦は働いてもやっぱりすごかった




大人になった大沢一彦、ここからは敬称させて頂き大沢と言わせて頂こう!大沢は食肉加工会社に就職。8年の年月を使い4社を渡り歩き研究を重ね1971年31歳で急に独立します



借りたのはアパートの一室、小さい部屋でここが大沢の原点であることは間違いありません。そこで調味料を作り企業に売って歩くのであります。まるでリアカーを引っ張っていた小学生の頃と同じ行動力。



企業に出向き、商品化から売り方までをレクチャーして周ります。今の時代でも物は売られても売り方までをサポートしてくる人は中々いません。まさに現代でも通用する圧倒的営業力!

走り出したら止まらない大沢一彦




人を雇い、加工用塩漬け剤という誰も馴染みのない白い粉を全員で売りまくり最初の独立から2年後には株式会社化、そのさらに2年後には現在の『日本食研』という名前になります。それまでは『畜産加工研究所』という名前だったんですが変えて大正解というかここで『日本』と付けるあたりも天才の片鱗が出ます



バブルも後押して業績を伸ばすと、その金をフルに使って設備投資を展開。1990年代は工場を建てまくり、ほぼ1年ごとに1つ工場を建てるという気がふれてるとしか思えない程の散財を開始します



周囲は不安だったでしょうが本人は成功するという強い確信があったに違いありません。事実1995年にはタレ事業の国内シェアNo.1を獲得。混入事故などを防ぐ検査体制等を充実させ、搬入に機械を導入。他社の新規参入を完全に絶っていきます

もう誰も追いつけなくなった大沢一彦という人




タレを作っている競合他社はいくつかあり、シェア争いは激化する所ですが、大沢の目線はその遥か先にありました。確実に勝てるシェア争いにしか参戦しません。他社が競うフィールドは家庭の中でしたが、大沢は家庭食卓のシェア争いをせずスーパーの業務用のシェア争いに絞り全力を注ぐのです



その結果スーパーの業務用のシェアトップを獲得。家庭ではあまり知られないのに知らないうちに誰もが口にしているという手法で、スーパーで買う人がいる限りはそもそものシェアを獲得してしまっているという神の領域に到達



2010年には藍綬褒章を受賞。全てが正しかったことを認めさせる結果となりました。国がその功績を認めるまでにかかった年数はたったの40年弱。1代で日本最高峰の山々に肩を並べることになるのです

by カエレバ

自らのその先を見据える大沢一彦




アパートの一室からスタートした物語は、40年で世界300カ所以上の事業所、売り上げ年間1000億、台湾・香港・韓国・シンガポール・タイ・イギリスに事業展開し、抱えてる従業員は4000人を超えるという向かう所敵なしの所まで来ました



ここまで大きく展開しておきながら一貫して貫いてる点があります。なんと上場をしていないのです。 最強の一族経営の選択肢を取っています。現在お孫さんの教育に着手。大沢の見据える先はまだまだこんな所で終わらないのです

誰からも愛される大沢一彦のエピソード



  • 設立40年の節目で社員3700人を集め小遣いを4万円づつ配り1日で8億円使う
  • 身内の運動会では応援そっちのけで観客に会社を宜しくお願い致しますと挨拶に回る
  • 焼肉のタレを開発しようと夫婦で味見をし過ぎて2週間舌がしびれる
  • 歌が上手い社員を見つけると実業団のような扱いで契約し直す
  • 世の中の子供達の海外支援に1億円をポンと出す
  • 世界中に会社があるにもかかわらず今治に本社を置き地元に税金を納め続ける
  • 地元に世界一豪華な宮殿の工場を建ててしまう
  • 入場料を取るものの明らかに帰るときにはそれ以上の商品をあげてしまう



大沢一彦、日本食研大好きな私から一言

いかがだったでしょうか?

私は実際に工場見学に行き、どれどれと上から目線で見に行ったものの帰りには膝から崩れ落ちそうなくらいの衝撃を味わいました。

この大沢一彦という人物が凄すぎたからです。そして自分のこの会社の知識の無さを嘆きました。ここまで命をかけている起業家が身近にいてそれを知らなく過ごしていたとは、そして社員さんもまた必ず挨拶をしてくる素晴らしい環境で非の打ち所がない。

1年前のその日以来、私は完全な大沢一彦フリークとなり、この人物の偉大さをよく周りに話してます

もし万が一このブログが大沢一彦の元に届くなら!1度でいいから生きているうちに話を聞いてみたいものです。誰か紹介してください(切実)その位の生ける伝説と思っています

私が1番の熱さを持って『日本食研』を語ったブロガーであると自負しております



ではまた!

皆様最後まで読んで頂きありがとうございます!

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