やりたい事が見つかりにくい!
何を始めたらいいんだろうという皆様に
やりたい事に埋もれている私から
皆様に趣味をプレゼンしていくこのblog
皆様、どうか今日もお付き合いくださいませ
さて、今回のテーマはズバリ『崇拝への提言』です!
私には常々疑問に思っている事があり、それを心の底から書き出してみたい!という今回の企画。共感等は最初から期待してはいないものの、聞いて頂きたいこの想い!
発信できるツールを持った私にはこういう事を言える権利を持ったようなもの。今日は声を大にして言おうじゃないか
では、今日もはりきっていきましょう!
松下幸之助というパワーワード
私は松下幸之助という人物を詳しく知らない。だが何となく凄い人だったんだろうとは察しはつく。当然私レベルのミジンコよりはるかに強く、崇高で強靭な人間であったのだろう。
どこで知ったのかといえば、何となく聞こえてくるのである。本屋やテレビの特集、有名な誰かが言っていたのを時々耳にするからだ。
ブログの偉人伝で特集する事もとても良い事だとは思うのだが、この本当によく聞く『松下幸之助』というワードだけはどうも食わず嫌いがある。あまりにもメジャーすぎるのだ
そして個人的に思うのが、確実に嫉妬するに違いないという点。本人が積み上げてきた功績とバックボーンのみを聞いてしまう事で自分の小ささを認識してしまう事がそもそも怖い
それもそのはず故人は超えようがない、というか超えられないのだ。なぜならば既に神格化されてしまっているからに他ならない。そしてそんな時思う事がある。
『なぜ近くにいた人達や仲間・同じ時を過ごした人達は彼を越えようとしなかったのだろうか』
次世代に残されるのは個人の偉業のみだ
しかし言い換えれば、それが呪縛となり現代人にとって超えられない壁として跳ね返ってくる
共に生きたのであれば責任として塗り替えておくべきだ。そして新たに出てきた勇者をまた共に生きた者たちが超え、次世代に受け継いでいくべきなのである
死後に伝説化される偉人達
この世から去る事で偉人として語り継がれる事は多く、ゴッホしかり宮沢賢治しかり。と生前ではその才能を充分に見出せなかった歴史もあります
それはとても残念なことではありますが、そういった偉人はその後他に類を見ない才能を持ち合わせていたとして未来永劫語り継がれているのが事実
要するに、死してしまえばもう誰の手の届かない所になってしまうというのを象徴しているとも言える。生前の不祥事や事件なども、後の功績の美談になったりさえもする
勝負は相手の生きている間に行わなければ意味がない
なぜ『松下幸之助』を超えなかったのか
軽く調べてみると、松下幸之助は政治塾も開き世の中に人材という才能を多く残そうとしていた。現に多くの才能ある人々が世の中に排出されていった事でしょう
しかしその中に、創始者を超えて名を残してやろうと思う人はどの位いたのだろうか
知らないだけでいるにはいるだろうが、身内だけの話になってしまうのかネットには特には出てこない。松下幸之助という存在がいかに素晴らしいかを語るのみだ
世の中に自分の考えや姿勢を広めていく場合、それは自分を乗り越えていけというメッセージではないかと思ってしまう。あがめ崇拝することが本当にやって欲しい事だったのかと思うと甚だ疑問に感じてしまう
崇拝はあきらめである。そこに挑戦してこそ意味があると考えて止まない
超えれなかったのではない。越えようとしなかったのではないかという考えが溢れ出てきてしまう
自分自身の松下幸之助を超えていく
私は祖父、父共に医者という家系に生まれたが自分自身は突然変異でも起きたのではないかという位に頭が悪かった。祖父は大変優秀だったみたいで事あるごとに『おじいちゃんは凄かった』と呪文の様に繰り返された
それを聞かされるたびにより自分の不甲斐なさを感じてしまいなんだか複雑な気分になり、自然とそれを避ける様になってしまうもので
祖父の生前を高校生くらいまで見ていましたが、未だに親戚で集まるとあの『おじいちゃん』の話題が出てくることが多いわけです
職業も関係ないところにつき、極々普通にここまでやってきたものの今現在でもチラついて出てくる自分たちの家系の重要な人物
そう、僕にとっては祖父こそが『松下幸之助』のような存在なのであります
僕の子供達は生前を知らないので、これから当たり前の様に功績だけを耳にしてしまう。見たことも無いから超えるなんて不可能だ。ならば生きていた頃を知る私がその功績を超え、次の世代からは私を超えていくようにすればいい
そう、私がしっかりとけじめをつけようではないか
皆様にも自分の人生の『松下幸之助』がいるでしょう。それは超えてこそ恩返しというもの、そして超えることが生きてる間に関わった義務のようなものです
と、考えるのはいささか行きすぎなのであろうか
自分が次の松下幸之助になれ!
偉人と同じ時を過ごせることは中々ありません。しかもその人物は偉人でないのかもしれない。でも目標とは超えてこそ価値があるもの、自分自身が新たな松下幸之助になるべきです
それはフィールドが違っても全然良くて、自分のフィールドで攻め、自分なりの勝ち方をすれば良いわけで同じ道を辿る必要はありません
ですが、ちゃんとした勝利宣言が必要です。でないと偉人の壁は乗り越えられません。
松下幸之助を圧倒的に超える力を持ってる人がいるだろうし、持っていた人がいたに違いない。ならば超えて高らかに勝利宣言(周知)をし、それを何らかの形で残すべきなんだと思うわけです
らしさなんてクソ食らえ
歴史に名を残す人は、名前を残すために行動を取っているわけではなく自然とその名が後世に残るものなのかもしれません。しかし、そんな事だから今の世の中では功績は数多の同じような物の中に埋もれていくのです
後世に残るのは記録と余韻です。ハッキリと分かる数字と、それを広めていくオーディエンスが重要。それは今のネット社会SNSがその台頭を果たしてくるかもしれません
ましてや自分自身の松下幸之助を超えるならば、それらしさなんて必要ないんです。全力で超えて叩き潰す覚悟でいくべきなんです。そのくらいの粋でないと超えられない存在でしょう。何てったって相手は松下幸之助です
全力で叩き潰しにいってもまず跳ね返されるでしょう。リスペクトした上で叩き潰して、高らかに勝利宣言をするのです。皆が次の目標を定められるように
挑戦する事の大切さを伝えたい
支離滅裂な今回のテーマとなりましたが、私が伝えたかったのは『崇拝』するのではなく『勝負』しに行くべきなんじゃないかという事です
あなたにとっての松下幸之助がまだ仮に生きてる、もしくは生きていた姿を見ていたのならば見た責任として必ずそれ以上を目指して生きていくべきだと伝えたい!
先人の功績に貴方の良さを足せば、きっともっと上に羽ばたき次の背中を追うものがそれをさらに高みにのし上げていくでしょう
まとめ
いかがだったでしょうか
大切なのはこれからの未来であり、過去の先人達の言葉や功績は、今のその未来をもっと輝かすために作り上げられ思いを込められてきたはずです
現存している我々こそ、未来への鍵となる存在
さぁ、今日も松下幸之助を超える日々を過ごしましょう
では、また!
皆様最後まで読んで頂きありがとうございます!
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